私は宝塚ファンではあるけれども、望海風斗さんのファンでもある。だから他の一人一人のタカラジェンヌさんの異動や進退について、あまり語らないようにしてきた。その人の(舞台)人生に関わるような決定や決断は、その人ではないある特定の人のファンを公言しながら語るには、あまりにもデリケートな話題だと思ったからだ。白状すれば、私が彩凪翔さんを認識するようになったのも望海さんの雪組への組替えがあったからこそ。しかし今になって、一人の舞台人として彩凪さんのことが好きだ、ということをようやく自分に認めてもいいと思えたので、そのことを書き残しておきたい。
続きを読む月: 2021年4月
fff—フォルティッシッシモ—(21年雪組) その2
「忘れないで」
忘れない、と誰もが思ったはずだ。忘れるはずがない。忘れたくない。
オーストリア皇帝や貴族たちが聴いたことがない音として称賛し、庶民たちが熱狂した未知の大きさを持つルートヴィヒの音楽。革命家とまで言わしめたほどの新しい音楽家はしかし、一たび耳が聞こえないことが明るみに出ると、すぐに「新時代の旗手」に取って代わられてしまう。彼らにとってはモーツァルトでもその再来のベートーヴェンでもあるいはロッシーニでも構わないのだ、楽になれれば。芸術も娯楽も文字どおり消費し続け瞬間的な高揚を得ることを日常にして生きている、私のような現代人にも耳が痛い話だ。
100年繰り返してきた歴史に連なり、後進に託して舞台を去ろうとしている人が歌う「忘れないで」は、あまりにも重い。退団という一大イベントを楽しんだあと、彼女がいなくなっても続いていく世界と彼女がやってくる世界の両方で、私たちは変わらず消費を続けていくと思っているからだ。
私は『fff』を、「この歌」を、忘れるだろうか?
感動のままに、忘れない、と誓うことは容易いが、当然のことながら忘れるかどうかは時が経ってみなければわからない。だからまだ終わってはいないのだ。「忘れないで」と、言われなければ今日で消費し尽くしていただろう作品を、終わらせるのかはきっとこれからも思考し続けるかどうかに懸かっている。